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7月20日

今日から山口では山口祇園祭がスタート。

私は今年もお囃子をお休みし、49日の法要でした。
まだ、なんだか心の整理はついていないのですが…。

6月10日の朝、祖母が他界しました。

リハビリ病院から老人ホームに移って約2週間。
だいぶ元気になったときいていた矢先の急逝でした。

私が最後に会ったのはその20日も前のことです。

その日、沖縄旅行2日目の私たちに叔父からかかってきた電話。
「天気はどう?楽しんでる?」とひかやしかと思っていたので、まさかの悲報に動揺を隠せませんでした。

すぐに空港に向かい、とんぼ帰り。

バタバタと準備は進みましたが、友引を挟み、3日目に通夜、4日目に葬儀の運びとなりました。

明け方4時頃の巡回では寝息をたてていて、7時の巡回の時にすでに息をしていなかったとのこと。

おそらく持っていた心臓のリスクが働いてしまったのだと思われます。

ひとりで他界させてしまったことは残念ですが、苦しまなかったようだ(わかりませんが)ということが幸いです。

祖母には6人の子どもに15人の孫、17人のひ孫がいます。

10人兄弟の長女ということもあり親戚もたくさん。
私たちが和木に着いたときにはすでに穏やかに眠っていたのですが、旅立ちの服も自分で決めて用意していたそうです。

おしゃれや宝石が大好きだったばーちゃんが選んだのはきれいなきれいなチョゴリ。
ちゃんとサイズ直しまでしてあったそうです。

歌が大好きだったので、斎場では生前録音したカラオケをずっと流してもらいました。
まるで宴会場のように。

ほぼ内孫である私は小さな時から可愛がってもらい、助けてもらっていました。
13年前に他界したじーちゃんとふたりにたくさん愛されていたと思います。

口がたつのでうるさい存在でもありましたが、大好きなばーちゃん。

最近の心配の種は専ら私が嫁にいかないこと。
ぼけて私の名前が出てこないとき、母が「嫁にいかない困った娘」と言ったとたんに「ともえか」と言ったくらいですから。

最後までばーちゃん孝行できない孫でした。

ここ1年間近くにいたこともあり、ばーちゃんがいなくなったショックは自分が思ってた以上に大きいことに気づきました。

病院にいたとき、風呂に入って家に帰ろうとつぶらな瞳でいったばーちゃんの顔が忘れられません。

ばーちゃんの家を守ってくれていた妹夫妻も帰ってしまい、家を次ぐ叔父家族が片付けや引っ越しを終えました。

(うちは引越しの物置に使われてる様子でいまいち納得はいきませんが…。)

トラックにして3台分のものが廃棄され、じいちゃんのものもばあちゃんのものも殆どなくなりました。
もちろん住むためには必要な作業だけど、やっぱり寂しいものです。。


ばーちゃんが以前使ってた携帯についていた、前回沖縄に行ったときお土産であげた亀のストラップ。
今、私の携帯についています。

49日の法要を終え、今日はにぎやかな1日。
なお他界したという感覚がありませんが留守電に残ったばあちゃんの声、これが最後なんだなぁと思うと、また涙が止まりません。

たくさん出てきたばーちゃんの大好きだった宝石類は、形見分けという名の争奪合戦が行われました。
うちにも幾つかの宝石がやってきました。
成人式以来、生前にもらったものあります。

それから、日本に来て一生懸命勉強して字を書くようになったばあちゃんの日記もたくさんでてきました。
電話でむげにしたり、いやな顔を何百回もしたけれど、ばーちゃんの日記には人の悪口は全然ありません。
一日の出来事や想いだけでなく、テレビで見たレシピやニュース、みんなが集まったときに話題にするお店の情報など、きになったことがたくさん記されていました。
何にでも興味を持つ、とても好奇心旺盛で、勉強家努力家のおばあちゃんでした。

おばあちゃん、いっぱいごめんなさい。
そしてもっといっぱいありがとう。
by floating_t | 2013-07-20 13:49